思想史  


 日本の弓術 オイゲン・ヘリゲル述
  
 私は高校生の時分、弓道部に所属していました。
 入部した動機は、他愛の無いもの。
 私は日本史が好きでしたので、武士道と言ってしまっては
 おおげさですが、かつての日本の精神を学びたいと思ったのです。
 しかし、結局そうした精神を学ぶことはできませんでした。
 本書の言葉を借りれば、弓道ではなく、弓術をしていたため、です。

 本書はドイツ人で哲学者のヘリゲルが、弓道を通して日本人の心を
 理解しようとし、その経験から得たことを原稿にまとめたものです。
 舞台は1926年(大正15)の宮城県仙台市。
 ヘリゲルは東北帝国大学(現 東北大学)に指導者として来日。
 当時仙台の東二番丁に道場を構えていた阿波研造に弓道の師事を請います。
 阿波の厳しい指導のもと、ヘリゲルは弓道を学ぶのですが、
 弓を引く際は力を入れてはならない、呼吸は肺ではなく、丹田でしろ、
 無意識になることを意識的にしてはならないなど、ヘリゲルには理解できない
 壁が次々に出てきます。
 ヘリゲルは、弓を引くには力が必要で、それを入れずに引くことは不可能だと、
 あるいは意識せずして心を無にすることなどできない、と師に述べます。
 そのたびに阿波は、ヘリゲルが納得するまで説明をするのでした。
 やがてヘリゲルは5年の月日を経たのち、阿波に弓道五段の免許状を許され、
 帰国した後も弓道の鍛錬を続けたとされています。
 
 「射は人格完成の手段であって、正しき射を修行すれば、一射ごとに人格の向上を計りうる・・・」
 これはヘリゲルの通訳を務め、自身も阿部のもとで鍛錬した小町谷操三の言葉です。
 しかし、今の学校における部活動はどうなのでしょう。
 私は、弓道がただの的当てスポーツに成り下がっている気がしてなりません。
 確かに競射も大事であることはわかりますが、それが本来の弓道ではないことを
 知らないで弓を引いているとしたら、それは嘆かわしいことです。
 本書は、弓道をする全ての人に贈りたい一冊です。



 新訂 福翁自伝 福沢諭吉著
 
 小学生の時分、伝記を読むことに夢中になり、図書館へ通いつめたことがあります。
 愚かなことには、授業中も先生の話をそっちのけで、本を読んでいたため、
 拳骨をくらわされて、本を没収されるはめになりました。
 司書の先生からは本を早く返せといわれるし、担任は返さないというし、
 にっちもさっちもいかなくなった覚えがあります。


 福沢諭吉といえば、その威厳のある肖像が一万円に印刷されていますし、
 慶應義塾大学の創始者でもあることで知られていますから、私たち日本人にとっては
 比較的になじみのある人物ではないでしょうか。
 その福沢が、老年になり、自身の生涯を振り返ったのが本書になります。
 神罰をも恐れぬ所業、枕がいらないほど勉学に励んだ若き修行時代。
 苦心しながらもオランダ語と英語を学び、やがては欧米へも渡航します。
 諭吉のエピソードは事欠かず。フグの肝を同僚にだまして食わせたり、
 帰りの船で女性と一緒に写真を撮ったことを仲間たちに自慢したり、
 さては洋行帰りであったため、攘夷派の暗殺に恐れる諭吉。
 読み終えた後、威厳のある諭吉の顔が、親しみやすい表情になっていることに
 気が付くでしょう。

 「今日の書生にしても余り学問を勉強すると同時に始終我身の行く先ばかり考えている
  ようでは、修行は出来なかろうと思う。・・・(中略)さればといって、ただ迂闊に本ばかり
  見ているのは最も宜しくない。・・・(中略)就学勉強中はおのずから静かにして居らなければ
  ならぬ」
 学問に対して述べた諭吉の言葉。
 平常心を持ちて、勉学に励むことは並大抵のことではありません。
 殊に現在はテレビやインターネットなど、欲望の魔の手が人間の心を
 掴んでなかなか離そうとしないからです。
 平常心を保つことは困難なことですが、己に克つことを常の目標として
 日々勉学に励む。

 勉学に励むのは、何も学生だけに非ず。
 大人になっても向学心は忘れずにいたいものですし、むしろ大人になってからこそ
 日々の勉強は必要なのだと思います。
 すさまじく、そして荒々しい時代の流れを漕ぐためには、
 知識というオールに勝るものはないでしょう