河五郎渡土<石裂>
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このことがあってから、河五郎は、神への感謝を込めて大雨にも流されない丈夫な橋をつくりはじめた。
だが、年老いた河五郎にとって、ふとい丸太をはこび、橋ぐいをひとりで打ち込む仕事はたいへんだった。
だが、来る日も来る日もはたらきつづけ、とうとうりっぱな橋をつくり上げた。
河五郎のこうした行いに、村人たちは、だれいうとなく、そのあたりを河五郎渡土(河五郎が渡してくれたところ)と呼ぶようになったという。
この内容は、鹿沼市上殿町にお住まいの”小杉義雄”さんが昭和51年に発行された
「子どものための鹿沼のむかし話」より抜粋させていただきました。
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