一 行 詩2006〜2004    newpage01.html    へ戻る 
No 51 寺山修司

村境の春や錆びたる捨て車輪 ふるさとまとめて花いちもんめ 


庭の百日草 2006/11/5 撮影
No 50  生きて80年の人生でも 

 200億光年彼方の 光を見ることができる。 

 私たちの一生は 永遠と一瞬が交差する場所だ!
 

    松井孝典著  「宇宙誌」より
No 49  雲は遠くから見ると白くてきれいだ。

 近くに来てみると一面に立ち込める霧でしかない。

 どこへ行けばいいのか迷っているのが今の日本人だ。

 
 塩野七生 
       
「混迷の時代に」 出井伸之Talk with 塩野 より
No 48
No 47
NO 8  時は流れない  積み重なるだけ・・
      
・・
マヤ文明の地・ユカタン半島にて・・・
東京大学教授 惑星物理学者  松井孝典著
「絶滅恐竜からのメッセージ」地球大異変と人間圏
WAC BUNKO・・・より

No 7   ドレイクの方程式  (宇宙科学者 フランク・ドレイク)

 N=Ns×fp×ne×fl×fi×fc×L÷G
 N・・・銀河系の中に存在する高等技術文明の星数
     =1000個松井教授の試算
 Ns・・・銀河系内の恒星の数2000億個、うち生命が脊椎動物にまで進化するのに必要な時間と考えられる寿命20億年以上の星(85%)
     2000億×0.85=1700億個
 fp・・・その恒星が惑星をともなっている確率・・・1/10=170億個
 ne・・・その惑星系で生物が生存可能な環境を持つ惑星の数
     ・・・100億個
 fl・・・その惑星に生命が発生する確率・・・100億個
 fi・・・その生命が人類のような知的生命体に進化する確率
     ・・・1/1=100億個
 fc・・・その知的生命体が他の星に対して通信を行うような
     高等技術文明を構築する確率・・・1/1=100億個
 L・・・高等技術文明の継続年数・・・100年〜1000年
 G・・・恒星の寿命・・・100億年
 L/G・・・1/1000万=1000個・・・

***現在という時点で同時存在する高等知的生命体の星の可能性は1000個。しかしその文明間の距離は、銀河系内の平均では数百光年以上であり、高等技術文明の継続時間が100年〜1000年だとすれば交信は不可能である。
・・・
松井孝典著「一万年目の人間圏」より 9./25記
No 46
 1969年 人類は初めて天体としての地球を見た。
 夜半球の地球を俯瞰すると、光の海が見えます。我々が文明を築いていなければ、地球にはこのような光の海は見えないはずです。つまり、我々は現在宇宙から見える存在になっているということです。

 生命の惑星として地球の寿命はあと5億年くらいである。
   (生物圏の寿命)
 50億年後には太陽が膨張して地球を飲み込むことになる。

*** 一万年前の気候変動に際して、我々は農耕牧畜を始めた。それは地球学的にはヒトが生物圏から分かれ、人間圏をつくって生きるという選択をしたこと意味する。以来我々は、生き延びるためだけの存在ではなく、なぜ存在するのか、自らその存在理由を問う存在になった。我々は宇宙を認識するために生まれてきたといえるかもしれない。そうだとすると、それを認識した現代という時代は、我々がその存在理由を失い、したがって文明の問題に直面するのは、文明のパラドックスというより、必然というふうにも考えられる。 
東京大学教授 惑星物理学  松井孝典
No 45 * 色即是空とは、お遍路さんがだんだん遠ざかり、野山の風景の中に溶けいるように消えていく、そういう風景の世界のことなのだと理解するようになり、心がとても平穏になった。   

柳田邦男「壊れる日本人」より
No 44 *教師と哺乳瓶がいったいどのようにして、母親とその胸にとってかわることが可能であろうか。
* 母親の乳は、意識の小さな流れとして、子どもの生み出す文章の底流に流れている。
*識字の結果として歴史に現れてきた自己が、歴史からまた消滅しようとしている。
Barry Sandersバリー・サンダース 本が死ぬところ暴力が生まれる」より
No 43 ***だれもが皆その懐に赤い草履を抱いているのかも知れない。
深い理由の編みこまれた血の色の履物を***

水樹涼子
 「聖なる衝動」より
  2006・7・11紀
No 42 谷川俊太郎「小母さん日記」 より

この世には詩しかないという恐ろしいことにぼくは気づいた
この世のありとあらゆることはすべて詩だ
言葉というものが生まれた瞬間からそれは動かすことのできぬ事実だった

名はその根を無名におろしている

2006・6・6  記 
No 41  書くことは速度でしかなかった
 追い抜かれたものだけが
 紙の上に存在した

 走ることは思想なのだ
 名乗ることは武装すること
 幸福は個人的だが不幸はしばしば
 社会的なのだった 寺山修司
2006・6・5 記 
No 40

私のふるさと下久我から上久我方面を望む 鹿沼市立菊沢西小学校
の校庭の桜の木

あなたの涙に  果実の核ほどの意味があるか
きみの一滴の血に この世界の夕暮れの
ふるえるような夕焼けのひびきがあるか

言葉なんかおぼえるんじゃなかった
日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
ぼくはきみの血のなかにたったひとりで帰ってくる
・・・・・

田村隆一「帰途」より

    //////////////////////////////////////////////////

その海の向こう側には
太陽の落ちていくに先立って赤々ともえている世界がある
遠くへ行って村に火をつけた人たちは
今でも遠くで自分を焼きはらうために罰せられている
今日もおびただしい炎をあげ
その苛酷な劇はまだ幕にならない

こんなにうつろでこんなに明るい夕映えも
平和という名で呼べば嘘になる理由が
手痛いこだまになって私の臓腑に沈んで行く
・・・・・・

牟礼慶子「落日」より


     ////////////////////////////////////////////////
     ぼくは裸木になり 
    青ざめて校庭に佇むことになったとしても
    見たことを見たと伝えるために 
    一人佇むことをやめないだろう
    一行の詩があればぼくは生きられる

      小林 守
NO 39
拒絶の木   小野十三郎

立ち止まって

そんなに私を見ないで。
かんけいありません。あなたの歌にわたしは。
あなたに見つめられている間は
水も上がってこないんです。
そんな眼で
わたしを下から上まで見ないでほしい。
ゆれるわたしの重量のなかにはいってこないでください。
未来なんてものではわたしはないんですから。
気持ちのよい五月の陽ざし。
ひとりにしておいてほしい。
おれの前に
立つな

鹿沼市立菊沢西小の校庭の桜の木
10/23撮影

川上澄生美術館西側駐車場の木
10/22撮影
創立以来の桜なのだろう。一本になってしまった桜の古木が校舎の改築によって露わになり、位置もおかしくなってしまった。強風を直接うけるためか枝が折れてしまい、枯れてしまう怖れがある。同窓生や在校生が与えてきた想い出や憧れの数々がメランコリックに消えようとしている。桜にとっては「そんなことは知らねえよ」というところだが。人はひとの作法で責任を取り、始末をつけねばならないのだ この木なんの木、気になる木です。鹿沼の顔とも言える川上澄生美術館の西広場にあります。緑化木に携わる人には当たり前のような名の木ですが、市民の何%の人がその存在と名を知っているでしょうか。名札がほしいと思いました。なんと北限の常緑高木、「楠」です。樟脳の木です。JR鹿沼駅前にも植栽されています。名前を知らない木はただの木で、人にとっては意味を持たない植物にすぎませんね。
NO 38  
  教育を語ることは、未来を描くことだ   陰山英男
NO 37
怨  親  平  等(おんしんびょうどう)

註・・・日本の中世・近世には、敵味方の差別なく絶対平等の慈悲(怨親平等)という仏教思想の影響で、敵味方双方の戦死者の慰霊を行う慣わしがあった。北条時宗建立の円覚寺は文永・弘安の役(元寇)の、島津義弘建立の高野山奥の院・敵味方供養碑は文禄・慶長の役(朝鮮出兵)の、敵国と自国双方の戦死者の慰霊を目的にしている。中世以後、国内の戦さに勝った武将は戦後必ずといっていいくらい、敵味方戦死者のための大施餓鬼会を催し、敵味方供養碑を建てている。日本の伝統文化には奥深い多様性があることを忘れてはならない。 参考 「靖国問題」高橋哲也著
久しぶりに靖国神社周辺を散歩した。すぐ近くに衆議院議員の九段宿舎があり、そこに14年近くすんでいたのでなつかしい場所である。明治維新以来の官軍(天皇の軍隊)の軍人・軍属の戦死者250万人を祭祀する宗教法人・靖国神社への首相の公式参拝は違憲であるという確定判決があるにもかかわらず、小泉首相はまたいつか参拝するのだろうか。旧植民地出身のかたがたや、宗教の違いで合祀の絶止要求があっても神社は応じない。中国や韓国との政治的決着を目指す政治の側からの「A級戦犯の分祀」にも政教分離の原則を持ち出して応じていない。戦争ができる国づくりが進んでいる。周辺事態法、テロ特措法、有事法制。そして今回の総選挙で衆議院で3分の2以上をしめた政府与党は憲法9条改定(集団的自衛権の行使)と教育基本法の改定に踏み込んでくるのではなかろうか。戦争は国民の犠牲を「愛国心」という形で義務化する。国は再び国民の「尊い犠牲」を大量動員するような装置として靖国神社を使おうとするのか。戦後60年、わたしは60歳。戦後民主主義の正念場だ。2005/9/19記
NO 36  

雨ふる故里は はだしであるく
       山頭火


2007年を期に、団塊の世代800万人が離職期を迎え定年帰農が顕在化する。
「戦後60年、人は再び農山村に生きる。・・・結城登美雄」
・・・かつて、豊かさと立身出世の夢を求めて、人びとは故郷の山河や田園に後ろ
髪を引かれながらも都市へ向った。この明治以降の近代の流れは戦後も同じだった。
向都離村を志向する価値は教育においても貫かれてきた。
そしてその夢が半ば叶い、半ば破れてしまった現在、人々は行き詰まり、「土を離れた
生存の不安」に気付きはじめた。エコロジー、スローフード、スローライフ、コミュニテイ・
・・それが新しい豊かさへの道だと都市の人びとが言い始めた。400万人のフリーター、
40万人のニートは、先行する世代の生き方、暮らし方、さらにはその労働観や消費行動
の延長上に未来はないと気づいたのだ。それは団塊ジュニア世代の若者たちの既定の
生き方への懐疑の姿であり、新たな価値への模索であった。
彼らが向かったところでは、随分と痛んではいるが、それでも再生可能な、なつかしい
自然と人びとに出会えたのだ。彼らはそれを「なつかしい未来」と呼んだりしている。
時代の底流では、静かに持続可能な「農的生活」への価値の転換が始まっている。
9/5記・・・参考 「現代農業8月増刊号」
NO 35    谷川俊太郎   「旅」より  鳥羽 

何ひとつ書く事はない
私の肉体は陽にさらされている
私の妻は美しい
私の子供たちは健康だ

本当のことを云おうか
詩人のふりはしているが
私は詩人ではない

私は造られそしてここに放置されている
岩の間にほら大陽があんなに落ちて海はかえって昏い

この白昼の静寂のほかに
君に告げたい事はない
たとえ君がその国で血を流していようと
ああこの不変の眩しさ!

行く夏のピクニックテーブルと
パラソル2005/8/22撮影 

庭のホオズキ 
2005/8/12撮影

垣根のヤマユリと
キバナコスモス2005/8/22撮影
否応なく”政治の季節”だ。 権力争いが手段ではなく目的そのものになっている国では、反政治よりも非政治がやむを得ない選択だろう。だが逃避行であってはならない。私たちは「世捨て人」にはなれない。軽々と飛び散っている政治の言葉に対抗して、掛け値なしの言葉を回復するためには、存在の側からの言葉が人間的につりあうのだ。こういう時こそ、詩の言葉を発し、危ういバランスを取らねばならない。それが存在の倫理だろう。

4〜5日前に孫たちがやってきた。この庭の芝生にはキティちゃんのガーデンプールもあった。閉じたパラソルが時の過ぎ行く方向をさしている。テーブルには鬼灯2つとシャボン玉の容器が放置されたまま、かろうじてその時をとどめている。眩しい光が容赦なく存在を焼く。こうして非政治の午後の芝生で私たちは、半ば焼かれ半ば満たされているのだ。人気の消えた深い陰影が、台風一過のようなその時の賑わいをいっそう際立たせてくる。8/22記
NO 34  
縄文の大輪の花 火焔土器    梅原 猛

真言の火は 縄文をてらす
     谷川 雁

縄文の芸術作品としての特性は, その造形が
天空への螺旋上昇・吊り上げられる運動であるところだ。

宗左近



夏風邪のように凍った炎
古代縄文の火焔土器は
その鎮まる炎天の壷の底に
数千年の闇をとどめて立つ

詩文集「詩のある政治」
「炎のエスキース29」より 小林 守


新潟県笹山遺跡出土品 縄文中期・火焔土器
(十日町市博物館蔵・国宝)
NO 33
詩とは 故郷の記憶だ              オクタヴィオ・パス
NO 32

母よーー
淡くかなしきもののふるなり
紫陽花いろのもののふるなり
はてしなき並樹のかげを
そうそうと風のふくなり

時はたそがれ
母よ 私の乳母車を押せ
泣きぬれる夕日にむかって
リンリンと私の乳母車を押せ


三好達治 詩集「測量船」・・「乳母車」より


栃木県指定有形文化財
磯山神社本殿(1662年建造)
(写真は文化財H/Pより転載)

「あじさい祭り」で有名な
鹿沼市 磯山神社

あじさい祭りは
6月下旬〜7月下旬

文化財指定の碑と
神社沿革の碑
2005年7月6日(水)鹿沼市磯町の磯山神社をみてきました約2500株の紫陽花が、鬱蒼とした杉桧の緑の中の参道や社殿を、淡い紫色や青白色にうずめていました。。写真撮影・小林守
NO 31
「或る光栄」より  谷川 雁

おれは村を知り 道を知り
灰色の時を知った
明るくもなく 暗くもない
ふりつむ雪の宵のような光の中で
おのれを断罪し 処刑することを知った
   

「原点が存在する」より

「段々降りてゆく」よりほかないのだ。
飛躍は主観的には生まれない。
下部へ、下部へ、根へ根へ、花咲かぬ処へ、
暗黒のみちるところへ、
そこに万有の母がある。存在の原点がある。
初発のエネルギーがある。
メフィストにとってさえそれは「異端の民」だ。
そこは「別の地獄」だ。一気にはゆけぬ。
NO 30           
          
  自分の住む所には
           自分の手で表札をかけるに限る。

           精神の在り場所も27
           ハタから表札をかけられてはならない。
           石垣りん
           それでよい

                           石垣りん (現代詩手帖特集版より)
NO 29
         
 人工の光で明るくなってしまった地球の夜に
          暗い帯が自転とともに移動していく。
          これは地球大のアートだ。  
         坂本龍一
NO 28

過ぎていってしまう一瞬の感動をつなぐことこそ
言葉の力なのではないだろうか。

海野 弘(評論家)

言葉はいのちである。言葉は水のごときものである。
誰でもいつでも、どこからでも汲んで、
もって自らの血となすことができる。
生まれたときから餓えたときすぐ汲んで
これを求めて飲みくだす。言葉の水は深いのである。

郡司勝義(文芸評論家)

新しい言葉を生み出す原動力はなんだろうか。
悲しみにかられた人が叫び声をあげるように
私たちの脳の中で、ある無明の契機がぎりぎりの
縁まで達した時に、あふれ出て形になるのが
言葉なのではないか。


  茂木健一郎(脳科学者
)  文芸春秋特別版
                   3月臨時増刊号「言葉の力」より
NO 27

尚仁沢湧水(塩谷町)

写真提供:Sight-SeeingJapan 
湧水地/名水伊藤雅士氏より

源三窟 
長生きの水(塩原町)
写真提供:Sight-SeeingJapan 
湧水地/名水伊藤雅士氏より
生物は水でできている。

カレた人間でも心に水がなければ

干物である。
     詩人 田村隆一

詩の森文庫「自伝から始まる70章」 「水」より
NO 26          花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは 
                                        吉田兼好


         花は桜木、人は武士            
                                        竹田出雲

         桜の樹の下には屍体が埋まっている   
                                        
梶井基次郎
NO 25
 石原吉郎 「河」より

海へはついに まぎれえない

ふたすじの意志で 岸をかぎり

海よりもさらにとおく

海よりもさらにゆるやかに

河は 
海を流れつづけた
NO 24

二荒霊泉(日光二荒山神社)


写真提供:湧水地/名水伊藤雅士氏より

中禅寺立木観音延命水(日光市)

写真提供:湧水地/名水伊藤雅士氏より

道元 「正法眼蔵」より

人のさとりをうる、水に月のやどるるがごとし。月ぬれず、水やぶれず。
ひろくおほきなるひかりにてあれど,尺寸の水にやどり、

全月も彌天(みてん)も、くさの露にもやどり、一滴の水にもやどる

NO 23

知者楽水  仁者楽山      孔子



鹿沼市御成橋町 黒川左岸台地より日光連山を一望
左より男体山、大真名子山,小真名子山、女峰山
4月1日終日快晴。桜前線は数日のうち、小林守撮影
須温泉神社愛宕福神水(那須町)

写真提供:湧水地/名水伊藤雅士氏
より
水五則
     1 自ら活動して他を動かしむるは水なり
     1 常に自己の進道を求めてやまざるは水なり
     1 障碍に逢い激してその勢を百倍し得るは水なり
     1 自ら清うして他の汚れを洗うは水なり
     1 洋々として大洋をみたし 発しては蒸気となり雲となり
       雨となり雪と変じ霧と化し 凝っては玲瓏たる鏡となりて
       しかもその本性を失わざるは水なり
       
       昭和四十年四月十一日 九十五叟 雲巖憲道 印
***学生時代の夏休みに、那須郡黒羽町の雲巖寺に宿泊したことがある。
***そのときにいただいた書きもの。
NO 22
出流原弁天池(佐野市)
写真提供:湧水地/名水伊藤雅士氏より
深く掘れ 己が胸中の泉 余所たよて 水や汲まぬごとに

伊波普猷(いはふゆう)・・・
(沖縄学の父と言われる沖縄研究の第一人者)

伊波普猷が引用したこの琉球歌謡の原典は、ニーチェの
「汝の立つ所を深く掘れ,其処には泉あり。
下は地獄だと叫ぶのは、黒衣の隠者流にまかせよう。」

沖縄の方言では「ふかくふり などぅぬ んにうちぬいじゅん
 ゆすたゆてぃ みじや くまぬぐとぅに
」と読むという。

朝日新聞 2月26日(土)Be on Saturday
ことばの旅人 沖縄 より
NO 21
    清貧こそ日本の伝統文化の真髄である。    中野孝次

NO 20
在るところに根を生やして初めて

私たちは空に飛べるのかも知れない
  内山 隆 「PeaceKitchen」より


上久我の東の方向を塞ぐ、二股山のうしろ姿。
この山を見ながら、私は15歳まで育った。
この山の右の麓に加蘇中があり、二股山の向こう
には鹿沼・宇都宮の光る雲が浮かび、その下に
まちがあった。そして耳順のいまわたしは、
とぼとぼとこのふる里を歩いている。
(2/4午後4時ごろ撮影)
NO 19    悲体の戒 雷震のごとく  慈意の妙 大雲のごとく 

  甘露の法雨を そそぎ  煩悩の焔を 滅除す


  「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第25」より・・・観音妙智の力・・・
  観世音菩薩を讃えた無尽意菩薩のことば
  参照・・・「法華経の新しい解釈」 庭野日

NO 18

古賀志山

やわらかな岩の固まりがぱっくり割れたような男たちの笑い声があがった・・・

わたしたちはひとりひとり、どこからか流れてきたばらばらな岩であり、ころがりおちるほかは他の岩にさわれない。・・・

その笑い声は、瞬間に強く結ばれて、またそれぞれの孤独へと帰る・・・

かれらの波打つ肩の向こうに、乾いた風のわたる太古の屋根が見える。あの空の下にも5人の男がいる。・・・

小池昌代  詩集「もっとも官能的な部屋」から
        「太古からの声」より
NO 17
大岡 信  「世紀の変わり目にしゃがみこんで」より
 「FRAGMENTS」 3

人間は光の中で理性によって
血まみれの闇を産み出すことに
熱中する。

われらの足もと
冬の土の中には、
光がほとんどはどの高みから降ってくるのか
闇の中で
正確に触知してゐる
無数の虫けらがゐる。
目も無しに。
NO 16 この世に自分が存在してしまったということは、

それ自体で自他の存在に必然的に影響を

およぼしてしまうということ。

このことの認識こそが、人間の「存在の倫理」

ということの意味である。       吉本隆明


2005・1・1 大晦日の雪が上がり光り輝く年明けとなった。自宅西駐車場より北西に二股山を望む。雪が溶け出して空が限りなく透明で眩しい。いつごろからこの肉感的な名称で呼ばれるようになったのか。自宅西からは深く切れ込んだ股間が見える。
NO 15


 12/24 長野県飯田市役所水道環境部環境保全課の小林敏昭氏よりEメールで送られてきたお歳暮、「天竜川の東から飯田市を望む」を転載いたしました。氏は「環境村小林家」のメンバーです。私のホームページでは、「たわわに実り取り残されている渋柿」として使わしていただきました。
       生をたわわに 実らせることによってしか
       わたしは 死を熟させることができない


        人間は ついにさびしいのだ 
       土に わが身を返済しなければ


        詩集「土へのオード13」より 新川和江

NO 14               こいびとよ きみの眼はかたってゐた
           あめつちのはじめ 非有だけがあった日のふかいへこみを
 

           大岡 信 詩集「春 少女に」の中の、「丘のうなじ」より
NO 13

2004/12/29 今年初めて朝から雪が降りだしました。雪の中、自宅西駐車場より西南の景色を撮りました。右の林の中からは雀の鳴き声が大賑やかです。この雪について大変だ大変だと話しています。とてもはしゃいでいるようです。手前斜めにたっている倒れそうな棒は境界の目印です。
 あわゆきの中に立ちたる三千 大千世界

  またその中に淡雪ぞふる
    良寛

句  種田山頭火
書  柿沼翠流(書家 柿沼康二の父)
この書は額入りで、かつて衆・議員会館の私の部屋に掲げていたもので、翠流先生はわたしの中学時代の恩師。ご子息の康二氏はいま日本で注目されている新進気鋭の書家です。
NO 12


空に吹き上げる紅蓮のモミジ・・”異形の火神”吼ゆ、同公園にて・・2004/11/29


鹿沼市・富士山公園から古賀志山方面市街地を望む晩秋の光の中で・・・2004/11/29

新たな詩人よ  嵐から雲から光から

 新たな透明なエネルギーを得て

 人と地球にとるべき形を暗示せよ    宮沢賢治

NO 11

道徳を忘れた経済は罪悪であり          

経済を忘れた道徳は寝言である
    二宮尊徳
NO 10  

山内かむ志氏 撮影 
鹿沼市在住 写真集
「尾瀬 慈心尽くるところ無し」
 力尽きた人々が地から尽きれば 大地はまたもとの姿に戻る 
 
  罪なくして死す の墓標が
  行く人の足を引きとめる
  さようさね
  人はしばしば罪なくして死し
  また罪ありても死するならいだ
  何をもって罪とするかは誰も知らない
  ずっと上の 高い空を
  昔ながらの風がわたる
 
  誰がこのあたりを荒れ野と名づけたか
  ここは世の始めからこうだったのだ
  見わたす限り石くれと赤土ばかりで
  ところどころに開墾の跡や
  用水らしい窪みが残るとは言え
  どれも地べたのほんのわずかな高低差
  腹這いになっても見分けはつくまい
  力尽きた人々が地から尽きれば
  大地はまたもとの姿に戻る   (略)  安藤元雄「墓標」より
霧の中田代ー
山内かむ志
氏 撮影 
鹿沼市在住 写真集
「尾瀬 慈心尽くるところ無し」
より
 
 哀愁は明らかな一つの意志とならねばならぬ

 そのように人は街に立たねばならず     

 くっきりと歩み去らねばならないのだ 
  

 安藤元雄 詩集「水の中の歳月」・・「悼」より
NO 9
心に耳を押し当てよ  聞くに堪えないことばかり  

吉野弘 *詩集「陽を浴びて」・・漢字喜遊曲より・・「恥」
NO 8
   夕日はもともと神であり 

   そして浄土のシンボルになった



    梅原 猛
NO 7
 余が風雅は 夏炉冬扇のごとし 衆にさかひて 用いる所なし

 
松尾芭蕉
NO 6
 力尽きた人々が地から尽きれば 大地はまたもとの姿に戻る 

 安藤元雄「墓標」より
NO 5
私は無から生まれた だから無はふるさと いつもはじまるところ

 

詩篇 「無」 より  
 塔 和子
NO 4  
衆人は直耕して 天道不背の真人なり
  安藤昌益
NO 3  耕して天に到る     孫文
NO 2
      

なんだ、立ち止まっても、人間生きていかれるじゃないか。

      * 註 知的障害者と一緒に歩く「大事なことはボランティアで教わった」

牟田梯三

 キャンドルナイトに参加しました。ロウソクの明かりに集中しながら、こうしている間にも
イラクでは不条理に命を奪われている何人もの人がいることを思はざるを得ませんでした。
吉本隆明の「存在の倫理」が問われるということです。書き留めてきた非戦の思想の言葉
をいくつか紹介します。


時代はまさに、戦後から戦前へと大きく舵を切っている。
                               広島市長 秋葉忠利

 暴力を鎮める言葉を作り出すことこそ、文化だった。 作家 大江健三郎

 "There is no wealth ,but life" ジョン,ラスキン 
(富は生きるためにある。)

 富を求めるのは道を開くためである。 経済学者 宇沢弘文

 戦争は1人、せいぜい少数の人間がボタンを1つ押すことで一瞬にして起こせる。しかし、
平和は無数の人間の辛抱強い努力なしには建設できない。このことこそ、
平和の道徳的優越性である。 政治学者 丸山真男

 敗戦の当夜、食事をする気力もなくなった男は多くいた。しかし、夕食を整えない女性が
いただろうか。他の日と同じく、女性は食事を整えた。無言の姿勢の中に平和運動の根がある。
戦争反対の根拠を、自分が殺されたくないというところに求めるほうがいい。理論は自分の生活の
中に根拠を持っていないからだ。 
            哲学者 鶴見俊輔 

私たちの次の世代では、憎しみが生きる力だった時代を終わりにしたい。
教育こそが暴力の連鎖を断ち切る手立てだ。(まもる)

 正義の戦争より、不正義の平和のほうがまだましだ。井伏鱒二 「黒い雨」

 本当の勇気とは報復しないことではないか。
 人類の叡智と勇気を誰よりも示せるのは、
 ブッシュ大統領、あなたではないのか。  音楽家 坂本龍一

 もし正義の名において戦争が正当化されるのなら同時多発テロも
 彼らの正義の名において正当化されるのである。  作家 梁石日

 人類は非暴力によってのみ、暴力から脱出しなければならない。ガンジー

 まことに 怨みは怨みによって消ゆることなし。
 怨みは怨みなきによってのみ消ゆるものなり。  法句経

 問題はその問題を作り出したのと同じ意識レベルでは
 解決できないということだ。  アインシュタイン

 闇に闇を追い払うことはできない。
 それができるのは光のみである。  キング牧師
NO 1
2004.5


言った。心配するな、私がまた生んでやるから(作者不詳)
 20年に及ぶ政治生活を離れて、カレンダーのない存在の時間の底の方へ、
いま私は回帰している。よぎるものは、確かに痛ましく寂莫とした音色を伴っているのだが、
いまだ物象に吸着されず、言葉に留めることにはなっていない。走ることは未来に後悔を置き去りにすることだった。「野っ走りレポート」から「とぼとぼ通信」へと反転していく道筋では、思わぬ荷物を担ぐことになるかもしれない。ゴミ箱の中でかすかな声で泣いているくしゃくしゃになった言葉を、拾い集めることになるかも知れない。希望ではない。生きて在ることの倫理でありたいのだ。2004/5/20

自宅に閉じこもり悪戦苦闘しながらおよそ半年間、何とか自力でホームページを立ちあげました。議員の時も人任せでしたので、パソコンそのものが事実上はじめての操作でした。
このサイトを発信基地として、回帰の道の底の方へ限りなく突き抜けて行きたいと思っています。詩も書きます。 
2004/5/29
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