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久我・加園に係わるむかし話紹介

シリーズ第3話

生子渕(obokobuti)<加園>

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 鹿沼市街より石裂への道を車でおよそ20分ほど行くと独鈷山と加園小学校の前の通りを西の方へ百メートルほど行ったあたりを 土地の人は、「生子渕」とよんでいる。
 生子渕の近くを流れている荒井川は今では、立派な堤防が作られているが、むかしは、大雨が降るたびに川の水があふれ、 そのたびに田畑がおし流されて村人はこまっていた。
 「生子渕」という地名は、あふれた水がたまってできた沼につけられた名前である。現在は沼の面影はまったくなく、 実り豊かな田んぼとなっている。また、田んぼの周りには、たくさんの家がたち並び、木工場なども見られる。
 その田んぼの中にお地蔵様が安置されている小さなお堂がある。もと、お地蔵様は子どもの頭ほどの丸い石をだいていたが、いつの ころかその石はなくなっていまはない。
 お堂には、宝暦五年、村の宝蔵院十二世来法師が書いたという、「捨てし子をひらふ古のをぼこ渕 だいじだいひの深きめぐみを」 と書かれた額がかかっている。
 この をぼこ とは「産子」の意味か「おぼこ娘」つまり世の中のことがよくわからない娘をさすのか、 たしかなことを知っている人もいないが「生子渕」の地名に深いかかわりがある次のような話が残っている。

 今から五百年も前の話である。
 ある年のもぞれまじりの雨の降る日、荒井川の上流にある石裂の加蘇山神社におまいりする人々にまじって、若い女がいた。
 女の人は、生まれてからあまり日も立っていないと思われる小さな赤ん坊をおんぶして、その上に粗末なねんえこばんてんを着ていた。
 ちょうど沼の近くまで来た時、赤ん坊が弱々しい声で泣き出した。女の人は赤ん坊を降ろし、だきかかえたまま何か心配そうな顔で じいっと沼のおもてを見つめていた。
 そこへ通り合せた村のとしよりが不思議に思って、
 「どうかしやんしたか。こんな所で・・・。どうだい、おらちさ来てちょっと休んでいったら。だいいち、赤ん坊がかわいそうじゃないかね。」
 と話し掛けたが、女の人はじいっと口をつぐんで、うつ向いているだけだった。

つづき