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久我・加園に係わるむかし話紹介

シリーズ第5話

おとみ坂の夜泣き石(otomizaka no yonaki isi)<象間>

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 上南摩から野尻へ行く途中に、おとみ坂という坂道がある。現在、その近くに鹿沼市の運動公園や住宅団地がつくられて、坂はゆるやかになっているが、むかしは人や馬がやっと通れるだけのけわしい山道だった。
 おとみ坂を野尻へ向かって少しいくと、右手に象の形をした小高い山が見える。その山のふもとの田の中に、子牛ぐらいの岩がある。 この岩が南摩七不思議の一つ、おとみ坂の夜泣き石である。

 むかし、象間のある家におとみという女の子が、子守り奉公にきていた。おとみの家は東北地方のまずしい農家だった。遊びたいさかりのおとみにとって、家を遠く離れて働きに出ることはつらく悲しいことだった。 三度、三度の飯が満足に食べられなくても、家にいれば母にあまえることもできた。小さい弟たちとけんかをすることもできた。
 だが、他人の家ではだれにもあまえることも、だれとけんかをすることもできない。ただ、いわれたとおり、朝から夜まで働かなければならなかった。
 夕食のかたづけが済んだあと、
 「かあちゃあん、かあちゃあん。」
 おとみが納屋のかげで泣いたことは数えきれないほどあった。
 その家に常作という二歳になる男の子がいた。おとみは常作を弟のようにかわいがっていた。まだ、片言しか話せない常作も、
 「おお、おお。」
 と呼んで、母親以上におとみになついていた。
 しかし、いくらなついたといっても、ききわけのない常作の子守はたいへんだった。きげんよく遊んでいるときばかりではない。
思い通りにならず怒り泣き出した常作をなだめることはむずかしいことだった。常作を背中にのせ、どろ道をはいまわったこともあった。 じだんだふんで歩こうとしない常作に、とほうにくれて、遠い母親のもとに逃げ帰ろうと思ったこともあった。

つづき