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2016/6/15
鹿沼市文化年報第39号(40周年記念号) 「鹿沼市文化協会40年のあゆみを記載
   
鹿沼市文化協会副会長 小林守
2016/4/17  2016年4月17日、映画「日本と原発 4年後」の上映会を、鹿沼市民情報センターで開きました。平和の谺鹿沼100人委員会と鹿沼9条の会の皆さんに呼び掛けて実施しました。80人程参加がありました。 
主催者共同代表挨拶 小林守
2016/3/9
転載
 翁長雄志沖縄県知事が辺野古基地建設のための前知事による埋めたて承認の取り消し決定したことに対して、国がその撤回を知事に代わって代執行することを求めた行政訴訟が、12月2日福岡高裁那覇支部でひらかれ、その初めての弁論で翁長知事は歴史的な名演説ともいえる意見陳述を行った。その全文が私の愛読する、 「高野孟のTHE JOUNAL」VOL 215  2015.12.07 INSIDER NO814+で送られてきた。感動的な歴史的詩文!と思いました。読みたい人は、定期購読誌ですので、高野孟のTHE JOUNAL mag20001353170 へ問い合わせください。沖縄の米軍基地、日米安保体制の在り方、沖縄の歴史と未来そして民意についてオール沖縄の視点で見事に意見陳述された歴史的文書です。
 2016年度、鹿沼マイカレッジ・詩の講座「石川啄木」を開くことにしました。
・・・もう一度、啄木を読んでみよう・・・ 4月〜9月(前期5回・中期5回) 10回の講座です。2015は「茨木のり子」を勉強しました。問い合わせは、鹿沼マイカレッジ事務局 0289−63−8360
ホームページを公開してから11年目になりましたが、ソフトは、H/Pビルダー・V8 からV12 にし、パソコンはXPからVISTAに切り替えて今日に至りました。このたび、処理の速さ、容量の都合もあってパソコンはWINDOWS10、ソフトはV20に切り替えていこうと機材を購入しました。徐々に切り替えていこうと考えています。そのためもあって今までのファイルを整理し再編集いたしました。今迄掲載してこなかったファイルや資料も片付けの意味で組み込みました。誰にということもなく、日記的に遺言を書いているような気持で、自己との対話と他者への発信を新たに展開しようと思います。2015/10/24記
2016/2
転載
 地域詩誌 「かぬま詩草2016」 発行しました。
 
2016年1月末日、11年次 300部  出品者30名(招待9名) 
お問い合わせ 〒322-0252 鹿沼市加園1230  TEL 0289-64-9684
Mail  machan62@bc9.jp  小林守城

    巻頭の言葉    出品者名簿
 このたび、「日本詩人クラブ」のホームページに、この「とぼとぼ通信」がリンクされました。リンク集の中に「とぼとぼ通信」が表示されています。したがって、私のこのホームページにも日本詩人クラブをリンクしました。(左リンク欄)
  2014年秋の叙勲にさいし、図らずも 旭日中綬章 を受章いたしました。11月11日総理官邸にて伝達式、皇居豊明殿にて天皇陛下の拝謁を賜りました。安倍首相は戦後最悪のとんでもない総理です。安倍政権は倒さなければなりません。安倍首相がやめたら、勲記と勲章の写真を掲載しようと思います。
2015/3/25
記載
 「一行の詩があれば」ー私の人生二毛作ー の第二刷ができました。
(2015.3.20) 第一刷の時(2014.8.20)、お配りできなかった方々に送呈
しようと思います。ご希望の方はご連絡ください。
〒322-0252 鹿沼市加園1230 0289-64-9684 小林守城
かぬま詩草2015」を発行しました。(2月18日)
 10年次になりました。詩・自由律俳句・エッセイなど、鹿沼地域および近隣の
方々26名が出品する地域詩誌です。ご希望の方はご連絡ください。充実したもの
になったと思っています。残部がありますので、一冊700円でお送りします。
〒322-0252 鹿沼市加園1230 0289-64-9684 小林守城/
2014年秋の叙勲にさいし、図らずも 旭日中綬章 を受章いたしました。
11月11日総理官邸にて伝達式、皇居豊明殿にて天皇陛下の拝謁を賜りました。
平成27年度かぬまマイカレッジ・詩の講座開きます。
 平成27年度かぬま生涯学習大学.詩の講座「茨木のり子の詩に親しみ、自ら書いてみよう」を開きます。
前期 4/22〜6/24(水・全5回) 中期  7/1〜9/16(水・全5回
 会場 鹿沼市民情報センター  講師 小林守城 
 使用テキスト 前期・中期共通
 「茨木のり子詩集」谷川俊太郎選 岩波文庫 700円 
 「詩のこころを読む」茨木のり子著 岩波ジュニア新書 780円
 対象 一般 15名  受講料 2.800円(前期)テキスト代込み
 申し込み かぬまマイカレッジ事務局 TEL0289−63−8360
 
茨木のり子詩の講座案内
2014/8/24  栃木県文芸家協会において文芸講演会の講師を務めました。テーマは「政治と文学の間」というテーマです。これは私にとって何としてでも話さねばならぬテーマであり引き受けたものです。 なおその際参考資料として、つい最近発行した「一行の詩があれば」8/20発行、を皆さんに配布しました。
レジュメ 「政治と文学の間」
2014/8/3 平和の谺鹿沼100人委員会設立 呼びかけ人代表挨拶
2013/9 東日本大震災会員アンケート への返答(栃木県現代詩人会)
2013/6/16 宇高は何であったか
 小林守 (昭和38年卒) 宇高同窓会報 第60号
2012/9 平成24年度 かぬまマイカレッジ・詩の講座開設(後期)
   ・・・詩(ポエム)に親しむ・・・
3.11東日本大震災・フクシマ原発の苦難が続いています。
人々はあらためて「いのちと絆の復権」を願い、いま存亡をかけて
科学技術と資本の近代思想を超え、「自然との共生」を求めています。
「いのちと絆の復権」は即ち、人間の言葉の復権であります。
詩はその根源をになうものではないでしょうか

講師 山本十四尾(人はみな詩人、講座T・U)・
宇賀神忍(詩人論、金子みすゞ・講座V・W)・
小林守城(詩作マニアル、講座X・Y)
 
*予定使用テキスト 「現代詩作マニアル」野村喜和夫 詩の森文庫
 講座1・2・3・4は特別聴講できます。(20人)特別聴講料1.000円
* 講座1 山本(11/14) 講座2 山本(11/28) 講座3 宇賀神(12/12) 
講座4 宇賀神(12/26) 講座5 小林(1/9)  講座6 小林(1/ 16)  
定員20名 全体受講料 3.200円予定
 受講申込・連絡先は、鹿沼市民情報センター5F  9月3日より受付
 マイカレッジ事務局 0289ー63−8360 FAX0289−63−8361
 または小林守城(64−9684)
2012/6/6 ダムとの闘い 思い川開発事業反対運動の記録」 藤原信 著
緑風出版  への返信 小林守      藤原 信 様
2011/6/26 . 弔辞  恩師 石川速夫先生に捧げる
2011/4 記  わたくしの第一詩集、「大芦川水神考」を発行しました。
日本現代詩人会理事、山本十四尾氏の企画編集と推奨を頂き、恩師・書家の柿沼翠流氏には題字の揮毫や栞文、そして鹿沼市立川上澄生美術館長柏村祐司氏やアサヤ塾経営・作家の麻屋与志夫からも励ましの栞文を頂きました。私の人生二毛作への出発としたいと考えております。ご希望の方はご連絡下さい。(筆名)小林守城 0289-64-9684

 幼 年 紀          2011年下野新春文芸 詩 入選(2位)
2011/3/6   柿沼翠流書作展(3/3 〜3/9) (栃木県書道連盟会長)
 栃木県総合文化センター2階 第3・4ギャラりー
柿沼翠流書作展祝賀会   3/5 12:00〜ホテル ニューイタヤ
 中学校の恩師・柿沼翠流氏の書作展を鑑賞し、祝賀会にも喜んで出席した。76点に及ぶ翠流の50年に及ぶ書作の集大成を見ることができた。祝賀会では、乾杯の音頭をということで、一度は他に誰か書作関係の適任者がいるのではと辞退したが、是非ということなので引き受けた。少ししゃべってから乾杯に入ってくれということで、コメントを加えて音頭をとった。式次第のところに、「詩人小林守」とあって、生まれて初めて詩人という紹介をいただいたことに触れ、「先生がいまの私を詩人として認めてくれた」と感謝の思いを伝えた。書については素人であるが、私なりの感想を話した。加蘇中学校時代の先生は、今の翠流氏を髣髴とさせることがあったこと。高原山が生んだ日本の名川・柿沼翠流であること。末永く聳えて、影響を与え続けて欲しいこと。師事した手島右卿がなくなった後、一字書に没頭し、自らの命の根源に対峙し見極めたかのように、土や泥のような書に形象化したこと。今は、「今生きてますか」「人生とは旅なのだ」「落葉松・・・白秋」「シルクロード」「生死の中の雪降りしきる・・山頭火」など一連の強い筋力を持って「旅」をテーマにしているとなど、自己流の解釈を加えてコメントした。
書の詩人であること、一日百枚に及ぶ古典の臨書は、石に刻むように書くことのようだ、人の建物文化を素材から見れば、泥や木や石を使ってきたように、先生の書は、それらすべてを自在に使って文字の意味を形象化し、表現しているということなどについては、時間の関係で触れられなかったが、
先生が、書の詩人であることだけは言っておきたかったと思っている
2010/12/5
栃木県現代詩人会の皆様へ (加入挨拶)
2009/9

教育長退任挨拶 平成21年度鹿沼市議会第6回定例会 2009・9・29
2007/9/29
  3月に完成した新しい住居の玄関前に,自生したコスモスが咲きました。5月に砂利を入れて庭を平らにしたとき,種でも入っていたのでしょう。その後、ささやかな芽を出しコスモスだとわかりましたので、他の雑草はときおり草むしりしましたが、これは残しておきました。 
 なんか、ありがたい事だと思ったからです。
 コスモスは台風9号にも倒されずに,足腰をしっかりと成長させ、9月下旬には、立派にピンクの花を咲かせました。
 十数年前、近くの土手際に飼い犬だった「ドン」の墓がありました。そこにはたくさんのコスモスが咲いていました。子どもたちが小学生や中学生の頃、かわいがっていたバカで元気な雄の柴犬でした。そのドンちゃんの生まれ変わりのような愛着があったからです。死んでこんなに愛らしくなって咲いてきたのがもっともらしく思えたのです。
 毎朝楽しみに見ていますが、コスモスはそしらぬようです。虫を呼ぶためにだけ、許されている季節の間を、必死に咲いているのです。そこがドンに似ているのです。
2007/4/8
城山西小 正門の桜  
城山西小 庭の孝子桜 

宇都宮市立城山西小学校の見事な枝垂桜を見てきました。
2006/4/25 感性の土壌・・・かぬま 鹿沼市教育長 小林 守
2005/10/5 鹿沼市教育長就任について
10月1日付で鹿沼市教育長を拝命した。教育基本法の理念、教育の中立性と独立性という教育行政の基本原則に立ち返り、いじめ・不登校・学習離れの子供たちの現状に立ち向かい、持続可能な次世代の育成に、恐れ多くも第二の人生をつぎ込んでみようと思う。ところで、この間の民主党県連の一部幹部の私に対する除名処分は、常軌を逸した不当な処分であるとしか言いようがない。手続き的にも恣意的であり、私の民主党に対する誇りを深く傷つける理不尽な仕打ちだったという思いをいつまでも消すことはできないだろう。10/5 記
私の鹿沼市教育長就任問題が8月上旬以来、地元では話題になってきました。予想もしなかった解散総選挙が急展開して、8月8日解散、9月11日投票となり、政党関係者や福田支援者や反阿部市長派のなかから”政治的な憶測”が出されましたが、政治家をやめたあとの「人生二毛作」をとかんがえてきたことが、10月1日付で実現しました。天の時が味方せず、タイミングの極めて悪い時期になってしまい、不運を嘆いたこともありましたが、私のこれまでの人生、社会的な生き様に関係してきた人々のそれぞれの本質的なすがたや器量を見ることができたということもありました。政治・党派性を超えて、私は見る人であることを選び、教育に携わることを選択しました。一連の経過を含めた簡潔な記事が下野新聞10月10日の一面に掲載されましたので、紹介いたします。2005/10/10記
「話題人 鹿沼市教育長にインタビュー」
(下野新聞10月10日一面掲載)
wadaijinn 1.pdf へリンク
wadaijin2.pdf へリンク          ズーム150%でみてください。
2005/7/4
鹿沼クリーンセンター事件の本質と課題を考える
最近読んだ本の中で、私の住んでいる地域の政治、行政、市民社会、文化の問題に係る2冊の本を紹介します。下野新聞社の「鹿沼クリーンセンター事件」特集記事をもとに編集された、岩波書店発行の「狙われた自治体」、もう一つは、小泉首相のお粗末な歴史認識・参拝問題が日本の東アジア外交のガンとなっている靖国問題で、東大総合文化研究科教授・高橋哲哉著、ちくま新書「靖国問題」です。唐突のようですがこの靖国問題の思想的展開と解明は、問題の次元は違いますが、鹿沼事件の本質と課題を解明するためにも、大変参考になる論理を示しているものだと思います。このホームページの「話題と政策」で、今後書いていきたいと思います。ところで「参拝」と「産廃」は同音異義です、靖国神社が「感情の錬金術」で「戦死の悲しみを喜びへと転換する国家的装置」であると指摘しています。その論理をゴミ処理問題事件に適用すると、政官業癒着の土壌に育った恐るべき「ゴミの錬金術」であるといえると思います。責任の問題の政治的なとり方、2度と戦死者を作らないことと、行政対象暴力を根絶することには、共通の平和の思想と仕組みと政治が求められるのではないかと思います。 2005/7/4記
2005/6/24
電気を消してスローな夜をー3回目を迎えた今年も、6月18日から21日(夏至)の4日間、100万人のキャンドルナイトが全国で取り組まれます。メインは21日午後8時から10時までの2時間。家中の電気を消してロウソクの明かりで過ごしてみましょう。昨年は全国で640万人が参加しました。東京タワー、姫路城、札幌の時計台など、日ごろライトアップしている施設も全国で6069箇所が消灯し、さまざまなイベントも238会場で開かれたようです。けっこう楽しくて、いろいろ気づくことや、考えることができます。参加方法は簡単です。呼びかけ主催団体のホームページをみてください。CandleScape の Enter をクリックして次にEntryFormをクリックしてフォームに記入して送信すればOKです。あなたの表明の印のランプが日本地図の中に点滅します。感動的です。私は昨年から参加表明しています。もちろんロウソクは自分で用意しますが,あとは無料の自由な暗闇です。今年はさらに拡大してメル友に呼びかけようと思います。6/8記
***100万人のキャンドルナイト実行委員会
 

100万人のキャンドルナイト実行委員会H/Pより写真引用
6月21日PM8〜10時のキャンドルナイトに参加された方には感謝いたします。私はというと、妻を誘い出してホタル観察調査やっていました。Firefly nightということで、車と懐中電灯を使ってしまいました。宇都宮のほうからも聞きつけてホタルを見に来ている人がいるのには驚きました。6/24 記

2005/6/18
6/17 大鳴門橋と渦潮 6/18 可動堰建設問題の吉野川第十堰を見てきました。大型公共事業に市民サイドから待ったをかけたモデルケースです。 小林守撮影
2005/6/12 私のホタル観察情報 2006/6/12〜6/26
2005/6/11
 ごあいさつ
2004/6/7に公開して以来、1年が経過し、2005/6/11までに、のべ5000人のアクセスをいただきました。多くの方々に訪れていただき本当にありがとうございました。これからも内容の充実と技術の向上を目指しながら、月2〜3回を目安にトップページを更新していきたいと思っています。今後ともお付き合いくださいますよう、よろしくお願いします。なおご意見ご感想もよろしく。6/11記
2005/6/8

クレマチス(テッセン)5/23撮影
二 輪 草  5/3撮影
自宅の庭には草花がたくさんあって、季節ごとにそれぞれ咲き誇っていることが、今年から見え始めた。4月から5月にかけてはとても数え切れないくらいである。残念ながらほとんど名前を知らないことがわかった。少しずつではあるが、名前を聞き、調べながら、折々紹介させていただくことにしよう。クレマチスなどは去年5〜6回は名前を聞いたのに忘れてしまった。言葉をかけること。名前を呼ぶこと。書くことや、イメージを思い描くことで名前とその草花が生きてくる。記憶に残ってくるのだ。「庭の草花たちが咲き乱れ」といってみても、一つ一つの草花は顔を持たないし、すぐ忘失してしまうことになる。「存在の倫理」的にはいけないことをしていたということだ。 5/25記
2005/5/25
NPO法人 鹿沼学舎設立・・・ いまあるところにふるさとをつくれ・・・

深く掘れ 己が胸中の泉 余所たよて 水や汲まぬごとに
伊波普猷(いはふゆう)・・・(沖縄学の父と言われる沖縄研究の第一人者)
伊波普猷が引用したこの琉球歌謡の原典は、ニーチェの「汝の立つ所を深く掘れ,其処には泉あり。下は地獄だと叫ぶのは、黒衣の隠者流にまかせよう。」
私註
ニーチェの文言を私も何かで読んでいたのだろう。私が40歳代に書いた詩文を思い出した。いま、NPO法人鹿沼学舎で始めようとしている「地元学のすすめ」も同じ底流に根ざしていることだと思う。3/7記

   身の丈にあった科学技術
   自然の供給に合わせて
   人間の欲望を導くこと
   いま在るところに故郷を掘れ
   「続 炎のエスキース 25」より  

 
6月から正式に始まる鹿沼学舎の部会事業の一環で、自然部会事業の下見を兼ねた大芦川自然観察会に、妻と姪を連れて行ってきました。西大芦漁協の石原組合長のいい話や野鳥の会の人たちのところどころでの説明を聞きながら、新緑萌え出る大芦渓谷ヒュッテから棒滝までの渓谷沿いをハイキングしました。オオルリの透明なさえずり、クマタカの勇姿、ヤシオツツジの淡いピンクの柔らかな風姿、冷たく冴え冴えとして切れそうな渓流,日光イワナの一瞬の影がよぎり、サンショウウオやイワナの稚魚が目的地の棒滝の下で見つけられました。三十数名が参加して郷土の宝を再発見しました。あるもの探しからはじめよう。5/7記

鹿沼市草久、
新緑の大芦渓谷の源流、棒滝
鹿沼学舎・大芦川自然観察事業
5/5撮影小林守


生物は水でできている。カレた人間でも心に水がなければ干物である。

  詩人 田村隆一  詩の森文庫「自伝から始まる70章」 「水」より
2005/5/7
花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは 吉田兼好

花は桜木、人は武士 
竹田出雲

桜の樹の下には屍体が埋まっている   
梶井基次郎
王門への階段と桜
4/10撮影 小林守
鹿沼市千手山公園 
仁王門の桜
人と桜・千手観音堂

岐阜の薄墨桜 F150
 荒井慧 作
桜前線が北上し、咲き出すとあっという間にのぼりつめ、満開の頂上を極めて1〜2日、峠を越えると急な坂道を滝のようにおちていく。この時期になると時が俄かに姿をなして、とめどなく沈んでいくのがわかる。何ものかに追い立てられる。生き急げというように。桜は生と死の絢爛なドラマを毎年演じている。日本人はこの桜花と2000年来の付き合いだから、私たちの無意識のところから湧き上がる、感性の泡立ちがあるのだ。桜と人との関係は、日本文化の基軸である。「桜の文学史」もある。振り向けばとてつもない埋蔵量だ。山の神,木の神様である「木花開耶姫」(このはなのさくやひめ)の宿る桜が、稲作文化の神と合体して、桜をあがめる文化が形成されたようである。
元来、いのちの漲信仰と祈りだったのだが、武士道文化の死生観を経て、散華の思想、死に傾いていったのが近代の桜文化だった。「靖国の華と散る」と唱導されてシンボル化されてしまった歴史がある。
現代の私たちはどうか。桜との関係において、生と再生に傾いた文化を取り戻すことができるのか。見通しは暗い。文明の行き詰まりによる環境崩壊の嵐が来る気配さえある。昭和の戦前戦中に、「戦争の中で抒情の自然を見ようとした四季派」文学に圧倒されつつも、「自然の形象の中に戦争を見つめ続けた抵抗派」の詩人たちもいた。その一人、壺井繁治の詩を桜の木の下には置かねばならないと思う。

              
 石は億万年を黙って暮らしつづけた
               その間に空は晴れたり曇ったりした


4月14日〜21日鹿沼市文化活動交流館で荒井慧氏の桜の個展が開かれた。山梨の山高神代桜、岐阜の薄墨桜、福島県三春の滝桜など日本の3大名木をはじめ盛岡、大分、白河などの名所の桜とともに、鹿沼の御殿山、千手山の桜など
33点が展示され、まことに壮観であった。
樹齢千年をこす老古木には怪しく蠢くエロスが漂っていた。桜を描き続けて30年、「ようやく桜の入り口に立ったようだ」といっていた。荒井さんの桜の絵は、紛れもなく「いのちと再生の文化」に精魂を傾けているものだ。 4/26 記
2005/3/5
民主党県連、福田昭夫前知事を次期総選挙栃木2区候補に公認申請
記者会見する中央が福田氏

 2005/3/5(土)13:30から民主党栃木県連で緊急幹事会が開かれ、次の総選挙に前栃木県知事の福田昭夫氏を栃木県第2区の公認候補として、民主党本部に申請することを決定した。固い自民党の保守基盤に対抗して、民主リベラル勢力が勝利することは、栃木県において、日本の政権交代のかたちを作り出すことを意味する。相手は宿敵古豪、前回私が敗れた自民党県連会長の森山真弓氏だ。古い自民党の集権型官僚支配の利権政治を市民主権型政治へと改革できるか。政権交代をかけて、次の総選挙は再び真正面から戦いを挑むことになる。それにしても、森山さん、お元気なことは結構ですが、政治の世界ではそろそろ世代交代を考えてもいいんじゃないでしょうかね。
2005/2/21
鹿沼市上久我にある私の実家から、山際を東に100メートルぐらい行くとこの湧水がある。2月の季節にも涸れずに水溜りになっている。この湧水の前の畑には百数十年前には、
小林家の先祖の屋敷があったと聞いている。この湧水のおく数十メートルのところに、
小林家の墓地があり、父も母もそこに納骨されている。「この泉が汚れると災いがやってくるという言い伝えがある。」と、父や母が言っていたのを思い出す。今もささやかな幣束が祀ってある。少年の日、ここはタブーで、気味悪い場所だった。近辺へ嫁に行った長女の姉は「あの泉の夢を見た」などといって、泉ををきれいにすることを実家の長男に促したりした。
2月20日に誕生する、NPO法人「鹿沼学舎」では、郷土史研
究家や自然観察会の先生や水の専門家の指導を得ながら、鹿沼や粟野の湧水マップ作りや
水質調査などを進め、私たちの命の源を探りたいと思っている。思い巡らせばこの穴から私は
生まれ出たのだ。水神さま、弁天さま、先祖さま、どうか祟らないで下さい。現地調査の後は
きっときれいにして、末永く保全し拝みますので!  2/11 記 (2/4撮影)
2005/2/11
   悲体の戒 雷震のごとく  慈意の妙 大雲のごとく 

甘露の法雨を そそぎ  煩悩の焔を 滅除す


  「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第25」より・・・観音妙智の力・・・
  観世音菩薩を讃えた無尽意菩薩のことば  参照・・・「法華経の新しい解釈」 庭野日
写真と一行詩の註
 立正佼成会鹿沼教会の平成17年度寒中読誦に初めて導師をつとめさせていただきました。
わたしが読誦したのは「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第25」で、事前に10数回は音読で
練習してみました。何事も初めてでしたので、失礼のないように心がけました。
15分ぐらいかかったでしょうか。途中で息が切れてしまって、声にならなかったところもありましたが、
皆さんの読誦に背中を押されながら、まあ、早口で何とかつとめることができました。
1月20日〜27日毎晩7時半から9時ごろまで、8回にわけて法華3部経全部を読誦するのですが、
わたしは26日の夜にでました。
 梅原猛の「日本の霊性」「日本仏教をゆく」「日本の深層」などで良寛や賢治と法華経との深い
つながりを読むうちに日本文化の基軸である仏教の原典ともいわれる「法華経」を読んで見たくなった
のがわたしのきっかけです。
「ときおりノート」2004年12月19日更新、に取り上げました「一行詩No13」 の 

 「
あわゆきの中に立ちたる三千大千世界
 またその中に淡雪ぞふる
」  良寛

 ここに出てくる「三千大千世界」(みちおほち)という文言は、法華経の中には何回も出てきます。
2005年
1月28日(金)
横浜ランドマークタワー(横浜ロイヤルパークホテル56F)より
 2歳になった孫娘に会いに横浜に行ってきました。みんなでタワーに1泊して、「みなとみらい21」の光景の一部を見てきました。物騒な世の中になってしまいましたので、ファミリーフォトはウェッブには載せないことにしました。
 見ておくことはいい。しかし住む気にはならない。これが孫たちの未来だとすれば、私には到底そこまで進化することはできないだろう。ここまで人間と自然環境をコントロールしてしまって、果たして人も自然も大丈夫なのか。私は縄文人の末裔だ。不安が足下から背筋に走る。同時多発テロ、9・11の戦慄がよみがえる。300mぐらい落下して地上1〜2階の屋上に激突した肉塊のドスンドスンという破裂音がトラウマになって聞こえてくるのだ。2001年8月23日、衆議院の環境委員会視察で私はあのマンハッタンのツインタワーをエンパイアー・ステートビルから見てカメラにとった。そして20日後、あの恐ろしい大惨事になったのを議員宿舎のテレビで見ていた。
ここでは、言葉は消え、擦れるような金属音だけになる。机の中では、新約聖書も仏教経典も眠ったままだ。かもめは空間を満たす斜光を食べて直線に飛んでいる。人は高層圏ゴンドラに閉ざされて宙吊りになっている。梯子のないまま、私たちは空をいつか飛べるのだろうか。山下公園の氷川丸も、直下に見える日本丸も永遠に停泊したまま、未来へ出航する気配はない。

1月23日朝、日本一高層タワーと言われるランドマークタワーから「みなとみらい21」の光景の一部を撮影。弓なりの櫛形ビルはインターコンチネンタルホテル。国際橋の右には大観覧車やジェットコースターなどのコスモワールド、ワールドポーターズの建物が見える。まばらな人は1ドットで、このフォトサイズでは見えない。
2005/1/22


2005/1/11 午後1時ごろ
鹿沼市貝島町ココス駐車場にて。
南の青空と白い雲、そして俄かに
広がった黒い雲の間に光の束が
クリスタルに降っていた。

2004/12/29 午前10時ごろ、
自宅西駐車場にて。雪降り積
もる畑の中の林。すずめの鳴き
声だけがにぎやかだった。

間は光の中で理性によって 
血まみれの闇を産み出すことに熱中する。
われらの足もと冬の土の中には、
光がほとんどはどの高みから降ってくるのか  
闇の中で正確に触知してゐる無数の虫けらがゐる。
目も無しに。
 大岡 信  「世紀の変わり目にしゃがみこんで」より 
近況 暮れから正月にかけて今年は何もしなかった。雪が一日おきに降ったりしたせいもあるが、元旦の午後、里帰りしていた娘夫婦をいわきの武蔵家へ送って行ったくらいで、ほとんどは家に篭って、本・年賀状・パソコン三昧だった。それでもちょっと外に出るときは、デジカメをぶら下げることにしていた。身の回りのありふれた光景なのだが画像にしてみると、不可思議な世界がみえてくるのだった。存在への回帰と存在の倫理を見極めたいと思ったのが、政治生活を離れ還暦を迎えた私の基点であったはずだ。人生二毛作の作付けを始めよう。NPO法人「鹿沼学舎」を来月には立ち上げる運びになってきた。”地元学のすすめ”である。身近なところにある自然・環境・歴史・文化・産業・技術に気づくことから始めよう。スロー・シンプルになれば、失ってきたものをきっと取戻すことができるのだ。1/12記
2004/12/29
 TOP PHOTO  註解 


 私の孫娘 未來
(2004/8撮影1歳半)



鹿沼市花木センター
からの初日の出

千葉県山武郡芝山町立
芝山古墳・はにわ博物館に
展示されている人物埴輪。
「山田・宝馬188号墳 女子」
          
           こいびとよ きみの眼はかたってゐた
         あめつちのはじめ 非有だけがあった日のふかいへこみを 

           大岡 信 詩集「春 少女に」の中の、「丘のうなじ」より
 思潮社の「詩の誕生」−大岡信・谷川俊太郎対談ーを読んでいましたら、大岡信が若いときつくった「丘のうなじ」という美しい愛の詩をとりだして谷川氏が朗読し、その一連二行の長い42行の詩を紹介していました。特に私は上記の一連二行が良くて、何度も口ずさんでいるうちに、この詩の「非有のふかい眼のへこみ」というイメージを、いつか何かで見た埴輪の眼を形象しました。ヤフーで検索して、ついにそれが芝山古墳のものだったことを確認できました。そしてこの写真をジーと見ているうちに、こんどは私の愛孫・未來の眼と表情が形象されたのでした。「非有から有へ」一歩あゆみだした未來の眼には、非有の世界からほんの一筋、”有への光”が揺らいでいるようです。12/19記
2004/11/16
民主党「次の内閣」
循環社会WTに
呼ばれました。



衆議院第一議員会館
第一会議室にて
久しぶりに衆議院の第一議員会館に入りました。黄色い前議員バッヂをつけていくと衛視さんは顔パスしてくれます。民主党の佐藤謙一郎・近藤昭一・奥田建・福山哲郎氏など旧来の環境部門会議のメンバーと吉田泉・篠原孝・若井康彦・芝博一・島田智哉子氏などの新人議員と数名の秘書さんにお会いできました。今日は、民主党の「資源循環・廃棄物管理法案」について1時間話して欲しいということで上京しました。この法案は2年ぐらい掛けて2001年に民主党が独自に法案化したものですが、まだ上程はされていません。2000年5月に成立した政府の「循環型社会形成推進基本法」に対抗して作業をすすめ、対案という性格の法案ではないので、政府案に対しては修正を迫る論戦の理論的背景として準備されてきたものでした。根幹は、法的にも、行政組織的にも縦割りの廃棄物・リサイクル行政の一元的統合(ゴミと資源の一元的管理・川上から川下まで)、EPRの原則(拡大生産者責任)の確立、4Rの原則(資源エネルギーの使用抑制・ゴミの発生抑制・再使用・リサイクルの優先順位)の明確化、有害化学物質を含む製品の取り扱い原則(無害化・安定化・代替物質使用など)・経済的措置(デポジット・埋立税・焼却税など)の積極導入などです。このWorkingTeamの顧問に委嘱されましたので、これからもいろいろとお役にたてればと思っています。
循環社会WT会議レジメをリンクしました。詳しい資料の欲しい方はご連絡ください。
2004/11/7
21世紀の栃木県を創る会等・政策街宣
民主党栃木県連が現職・福田昭夫知事を全面支援することになり、後援会入会カードや政治団体の街宣が忙しくなった。10/23鹿沼市議松井正一の政治団体MSSCによる街宣を皮切りに、10/25・11/4・11/7・福田知事の政治団体「21世紀の栃木県を創る会」の街宣車が鹿沼・粟野地区に入り、そのつど私も同乗して応援の政策演説を行った。
11/7には知事自身が午前中、粟野・鹿沼にきたこともあって街頭集会は随分集まりがよくなり、盛り上がってきた。福田知事からの推薦要請や政策協定もなかったので民主党栃木県連は対応に苦慮したが、一期4年の一党一派に偏しない知事の政治姿勢や公約実現の評価、政策の近似性、そして相手の予定候補者が自民党丸抱え体制で襲い掛かってきている状況から、全力支援となった。
前回の選挙とは違いいやおうなく守りの選挙である。前回のような草の根・奇襲作戦や判官びいきが今回も有効に作用するのか。相手は挑戦者であり、もとより油断はなかろう。現職とはいえ、組織的な選挙態勢では相手に圧倒されていると思える。大義や理は現職福田にありだが、それが県民の投票行動にどう結びつくのか予断は許されない。県民の政治意識を信じ、賢明な選択を期待し、政治政策をわかりやすく訴えていくだけである。
私が参加したときの街宣弁士
10/23 松井正一市議・小林守前衆議院議員
10/25 駒場一男町議・松井正一市議・小林守
11/04 佐藤信県議・松井正一・大貫武男・小川清正市議・ 小林守
11/07 小島実町議・小川清正市議・小林守・福田昭夫知事
私の演説は、どこでもほぼ同じ論旨で話している。「日本の経済社会の閉塞状況、持続可能な経済社会をつくる国・地方の政治・行政の最優先課題は財政健全化、次世代育成支援、環境の保全の三つ。一期4年の福田県政の施策評価、抵抗勢力の妨害に抗して苦労しながらも立派にやっている。変える理由はない。合併問題を抱える宇都宮市長をなげうって出馬する相手候補予定者の背景は何か。再選が県民の利益につながる。」
2004/11/3 一休会(高野孟代表)合同還暦祝い
11月1日、東京都港区北青山のロシア料理レストラン「テアトロスンガリー青山」で、高野孟(ジャーナリスト・インサイダー編集長)が主宰する一休会の合同還暦祝いがありました。高野氏から案内をいただき出席しました。
一休会とは、昭和19年生まれ、ここらで人生一休み、人生二毛作を考えよう、一休禅師の80歳を超えても女と同棲するような元気な生き方を見習おうというような意味があるとのこと。
この店は、メンバーでもある歌手加藤登紀子の店です。アトラクションは「外山喜雄とデキシー・セインツ」特別ゲストにドラムのジミー・スミスでした。外山氏は高野氏の高校のブラスバンドの仲間でトランペット奏者、日本のクラシックジャズの第一人者だそうです。飛び入りでメンバーのジャズピアニスト・坂口三代次が演奏したり、フォークシンガー小椋佳、、歌手加藤登紀子などが歌ってくれました。クラシックジャズにはまったく素人の私にも、「本当にいい音楽演奏だなー」と感じ入ったのですから、日ごろ愛好している方が聴いたらどんなに感動を得たか知れません。ほんとうにありがたい経験でした。ドラムのジミー・スミスの演奏にも「芸術的な端正さ」といっていいか、ゆるぎない正確さを感じました。こんなドラム聴いたことがありませんでした。
参加メンバーがすごい人たちなのにも圧倒されました。政治家では、町村信孝、丹羽雄哉、北川正恭、峰崎直樹、岡崎トミ子などが来ていました。マスコミ関係、画家・音楽家、大学教授、実業界、労働界、政界など本当に多彩な申年の集まりでした。プライバシーも思い具体的にはこのくらいにしておきます。
高野さんと私は、1996年旧民主党結党の際に初めて知り合いました。とくに結党宣言の草稿作りの時には、いい勉強をさせてもらいました。会場で同席した鈴木英幸さん(現・全国労働金庫協会専務理事)なども、当時自治労本部政治局長で、旧民主党結党時から親しくさせていただきました。高野さんにはその後、私の選挙区にも3回ぐらい来て講演してもらいました。民主党の平和・安全保障政策の基礎を築いてくれた方でもあります。(今日の民主党の安保政策は随分変わってきてしまいましたが。
2004/.9
加園大杉神社の秋祭り
 200世帯規模の
わたしの地元の加園2区にある大杉神社の秋祭りが開かれました。6箇所ほどの会所をトラックにお神輿と太鼓を積み、世話人と保存会の人たち30人ぐらいがお囃子をしながら回ってきます。近所の人たちが会所に集まってそれを待ちうけ、1箇所30分ぐらいお囃子を演じて、その会所に献上された御神酒やご馳走をみんなで分けて食べます。

 わたしのうちの駐車場がこの辺の会所になり、毎年5〜60人の人たちが集まって楽しみます。子供たちもずいぶん集まるので果物や袋に入ったお菓子やジュースなどが配られます。今年は地区内の小学生が3〜4人が小太鼓を演じてくれました。お祭りの前1週間ぐらい、毎晩大人が教えて練習をした成果があり、旨くたたくことができていました。子供は覚えが早いということが大人たちの驚きです。

大杉神社の信仰はシャーマ二ズムの大樹信仰が起源になっているといわれていますが、鹿沼には大杉神社はいくつもありますので、その由緒や信仰の中味について鹿沼市史・民俗信仰編などをまず調べて、また書こうと思います。「木の文化」をまちづくりのキーワードのするなら避けて通れないと思いました。

 梅原猛は「私は真言密教の日本の思想に対する最も大きな影響は、真言密教によって神と仏が一体となったことだと思う。」「神仏習合は行基に始まり空海によって完成され、そこから修験道が生まれた。神と仏が仲良くするのが修験道で、そこに、一木一草に神を見るという日本の伝統が生き続けた。だから、地方の神社はほとんど修験道と関係する。明治の廃仏毀釈は仏を排斥して神を残したといわれるが、実はそのとき修験道をも禁止することによって、神も排斥してしまった。」・・・・・「日本仏教を行く」 梅原猛・・・朝日新聞社刊
2004/9/9
 私は無から生まれた だから無はふるさと いつもはじまるところ
    詩篇 「無」 より   塔 和子
議員生活を離れ、還暦をまもなく迎えるいまの私には、名刺・肩書きが悩ましいテーマである。名刺について、かつて私が市職員だったころ書いた詩がある。
「私がもう一つの名刺を作るとしたら、詩人という肩書きを小さくいれたい。
だが、ある高潔な詩人の名刺には肩書きはなく、名前すら入ってなかった」 さらに
「いつでも市民にかえる覚悟 議員のたたかいとただの市民のたたかいの重さが 常に匹敵していますように」と県議になった当初のころに書いている。
議員は名刺をばら撒くことを常とするのに。この二律背反の生活に身を晒しつつ、無名の人・無明の世界に共に生きることを私の基本姿勢とし、そこに政治的価値を見出そうとしたものである。しかし、これらはいささかでも肩書きがあったときに書いたものだ。現実の社会関係のなかで生きている限り、「ただの人である」ことを貫くのは二律背反の格差が激しいだけに、厳しいことだと感じている。”社会的地位と名誉”が壊れ、政治的に消えていく自分をよしとして、それをどこまで本気で覚悟しているのか?自分自身をぎりぎりと疑うのだ。「無名の人」に価値を求め自ら赴くままに即自化する覚悟が本当にありやなしやと問われるのだ。
吉本隆明は書いている。
「もっとも価値ある人間の生き方とは何かといったときに、生まれ、結婚し、子供を生み、黙々と仕事をして、そして死んでいく、そんな普通の何の変哲もない当たり前の人生がもっとも価値在る人間の生き方だ。・・
・その辺の無名の人と千年に一度しか現れないカール・マルクスの人間としての価値はまったく同じである。」
その通
りだな。そうであって欲しいよなーとつくづく思う。8/26記
2004/9/8
鹿沼・二燈院の蕎麦畑
鹿沼市笹原田にある二燈院は、県内の引きこもり、不登校の若者や子供のための居場所としてNPO法人ホワイトキャンバスの一つの活動の場になっています。
 現在80歳を超えた森澤勇三郎さんが東京での定年退職を期にここに4Haの山林原野を求め、自ら開拓して0.7Haの畑を作り道路も整備し、低地に在った沼池を尊徳池と称してここ全体をビオトープと位置づけ、自然と人との共生の場としています。2つのゴルフ場に東南を囲まれていますが、北・西に二股山、下沢地区、笹原田地区に面した緑の里山地域です。
 二燈院とは、若者と年寄りの二つの燈火が集まる広い院・場所ということです。森澤さんの哲学は、時間がかかりますのでここでは触れられませんが、文明と日本の社会の未来に深いメッセージを持った方と伺っています。名前だけ聞くと宗教法人かなと思ってしまいがちですが、実は農業生産法人なのです。ここの一角をお借りして、ホワイトキャンバスが農作業をとおして人と自然と生命のふれあいの場をつくろうとしています。4000本の藪北の茶畑がありますが、昨年からその生産管理を手伝い収穫・販売されたお茶はそれぞれに分けられたようです。高台の畑に今年はとりあえず、蕎麦を蒔こうということになり、わたしもかかわりながら盆過ぎの8月17日に近くの専業農家の見目さんにいろいろお世話になって、蕎麦畑がお目見えしたところです。 この写真は9・7わたしが撮影しました。この日は5人の若者が集まって作業をしていました。
2004/8/20 起    「詩作ノート・・・・・ 無明のふるさと・・・・・」 始めました。
2004/8/5
 衆人は直耕して 天道不背の真人なり  安藤昌益
憲法9条をめぐって内外の改憲の動きがいよいよ強まってきた。政権交代をかけた次の総選挙は、憲法9条・教育基本法改定問題が大きな争点になる。既成事実となったイラク多国籍軍への自衛隊の参加を、一般化し明文化して、日本が海外での武力行使や戦争のできる国になろうとするものだ。
自民党の中川国対委員長がアメリカのアーミテージ国務副長官に「憲法9条が日米安保の円滑な運用の妨げになっている」と言わせて見たり、民主党の岡田代表がアメリカの講演で「9条を改正して国連安保理の明確な決議がある場合は海外での武力行使は可能」と話したりしている。海外における武力行使を解禁したいのか。集団的自衛権の行使を合憲化したいのか。単独行動主義のブッシュ政権に擦り寄って政権が欲しいのか。民主党の立党の理念は何処へ行ったのか。仕掛けがいつもアメリカでセットされ日本人が踊るのはいつもの調子だが、報道されたところの岡田氏の発言はとても危ういものではないか。説明が不十分だし軽率だ。
民主党結党以来の宿命的課題が党内で火を噴くことにならないように、今年の3/19に示された、横路ー小沢合意の路線で慎重に対峙すべきだ。
党内に生方幸夫氏を代表とする「リベラルの会」が若手50数人で結成されたことは、民主党の結党の精神をしっかり受け継ぎ発展させてくれる力として評価し、期待している。
2004/4/18
 幻の出馬宣言 1 〃 2 3 4
ー鹿沼の未来に責任を持つ、品格のあるまちを目指してー
2004・5・16告示の鹿沼市長選に市民活動団体の皆さんから強く出馬要請されましたが、4・19諸般の事情で出馬断念の記者会見を県政記者クラブで行いました。そのときには発表しませんでしたが、もし出馬することになったらと準備していたものです。
2004/3/19
横路ー小沢合意文書
日本の安全保障、国際協力の基本原則
この合意文書は、 民主党の横路グループ数人と自由党の小沢党首他数人及び社民党の有志数人が、2001年秋から野党(民主党・自由党・社民党)の共闘と統一を展望して、密かに議論を重ね2001・12・7 に横路・小沢間で合意されたものが基本になった歴史的文書です。残念ながら社民党のオブザーバー参加者はそのとき、党執行部全体の合意が得られませんでした。
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